ホームページを開設してからというもの、写真を良く撮るようになった。 最近では動画や音声を掲載しているページが多くなったが、 私がサイトを開設した当初は、画像が掲載されているだけでも、何だか立派に思えたものだ。
最近ではデジカメが普及しているので、もっぱらデジカメを持ち歩いている。 デジカメの特徴は、無駄を考えずにとにかくシャッターが切れることにある。 そして、すぐにパソコンで確認出来る。 クライスのサイトに掲載してある画像のほとんどはデジカメで撮影した物だ。
発表会があればシャッターを切り、打ち上げがあればファインダーをのぞき、 合宿に行けば、レンズを向ける。 バシャバシャ撮る。 そこに映し出された映像は生きていて素晴らしく、そして美しい。 気取らない、素直さが出ている。 だからどんな写真でも結構気に入っている。 だが、、、
「きゃ〜、こんな変な写真捨てて、今すぐ捨ててっ!、はやく」 「え?誰これ?ワタシ??うそ、違う、絶対違う、こんな顔じゃない、違う」
まあ、反響もスゴイ。 自分の顔というものは、鏡でしか確認出来ない。 しかし、鏡を見ているときは必ず意識している。 意識しつつも、無意識に一番イイ顔をするものだ。 普段ならほとんど見ることが出来ない表情なのだ。
どんなに変だ、といわれても、こちらからすれば「いつもの顔」。 特に変なことはない、おかしいこともない。 でも本人にとっては別。
ワカル、その気持ち。
人の表情は常に変化しているけれど、残像は良い部分しか残らない。 でも、写真はその瞬間を正確に映し出す。 たとえどんな瞬間でも。 表情が移り変わる、その瞬間をとらえる。
お、綺麗な人だな、とか、可愛いな、カッコイイナ、と思えば、やはりシャッターを切る。 しかし、撮った画像を見ていると見た印象と違うことがある。 実際はカワイイのに、画像ではそれほどでもない人、 間違ってもカッコイイと言われないアナタを撮ったのに、 やたらカッコヨク取れていたり。。。 ナゼダロー。
綺麗だとかカワイイとか、カッコイイとか、その人の表情が大きく関係しているのだ。 表情が可愛かったり美しかったり凛々しかったりクールだったりしたならば、良い写真が撮れる。 表情が乏しければ、良さが現れない。 ナルホドナー。
と、一人納得し満足しているのである。 人はうわべでは判断出来ない。 名言だ。
ナルホドナー。
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